生きるということ
右京中学校 2年 田島やよい
私は今13才。中学校2年生です。今の生活はとても楽しく充実しています。将来のことなんて、ましてや老後のことなんてあまり考えずに過ごしてきました。学校では、職場体験や福祉体験があり、それらを通して将来のことや福祉に対する関心は高まりましたが、自分のこととして向き合うことはあまりありませんでした。でも最近、歳をとって、私はどんな人生の最後を迎えるのだろうかな?ということを考えさせられる機会を得ることが出来ました。
私の家には、父と母、祖母、大学4年生になるいとこ、そして今年5月に引っ越してきたおばの6人が住んでいます。おばというのは亡くなった祖父の妹です。今年79才になります。祖母と同い年です。おばは、長年働きながら、心の病を抱えた妹と一緒に暮らしていました。でも4年前、急に妹が亡くなり、その後は仕事も辞めて、ずっと一人で暮らしていました。しかし、その間に認知症を発症し、今日あった出来事も忘れるようになってしまいました。おばのことを心配して、友達や地域包括支援センターからも連絡が入るようになり、母は、何度もおばの家がある福岡に行くようになりました。私も一緒に行ったことがあります。そういう中で、一人で暮らしていて万が一のことがあってはいけないと、母が一緒に住むことを提案しました。それをおばが決心するまでに1年半程かかりました。
そして五月、おばは、母の車に乗って旅行気分で私の家にやってきました。私が「こんにちは」と言うと、おばは、「おー、ちぃちゃん、久しぶり」と言いました。「ちぃちゃん」というのは、母の妹のことです。どうやらおばの中では、父と祖母が夫婦で、私と母が子ども、いとこは、どこからか来た知らない人となっているようです。そんなおばを見て私は、あまり話す気になれませんでした。話の続きや名前を説明すると「あー。そうやった。」と答えます。でもすぐに「ちぃちゃん」と言います。私としては、自分の名前を覚えてほしいという気持ちがあります。
そんなある日、私が一人で宿題をしているとおばがやってきて、「いつも一人で宿題ばしよると?一人じゃさみしかろ、おばちゃんが一緒におるたい。」と言ってくれました。私たちはすこし話をしました。おばの小さい頃の話、兄弟のこと、戦争の話などを一所懸命に話してくれました。昔の記憶はしっかり残っています。私は、少しずつ心が暖かくなるのを感じました。その時からです。私の中でおばに対する気持ちがだんだんと変わり、自分から積極的に話すようになりました。
しかし、認知症には波があり、その時その時で人が変わってしまったようになります。すごく機嫌が悪くなって、今の家を出て長年住んでいた福岡の家に帰ると言ったり、そうかと思えば、とても優しい表情で、ていねいに掃除をして、きれい好きなおばの姿に戻ったりします。だから、まだ少しとまどいがあります。コーヒーが大好きなおばは、今、自宅近くのデイサービスセンターに通っています。「サロンにコーヒーを飲みに行きましょう。」と言って迎えに来てもらいます。ご近所にも挨拶に行き、おばを紹介しました。
若い頃から仕事一筋に一人で頑張ってきた芯の強いおば、時々頭の中が真っ白になってしまうおば、いろいろな顔を持つおばです。これまでの暮らしを家族で受け止めて、地域の人にも声をかけてもらいながら、おばらしい表情で楽しく生活してもらえるよう一緒に考えながら過ごしていきたいです。母や祖母から昔のおばの話を聞くと、仕事では自分が一人で残って後片付けをするなど、責任を持って一所懸命に働き、みんなから慕われていたそうです。認知症になり自分の品物をなくすことがあります。でも絶対に人を疑うことはありません。今、おばは、いろんな人に囲まれて毎日を過ごしています。それはおばの人徳だと思います。
人にとって一番大切なものは何でしょうか?
お金でしょうか?
地位や名誉でしょうか?
私は、人と人とのつながりだと考えます。一生を終える時まで、自分の役割を持ち、人とのつながりの中で自分らしく暮らしていく、そんな地域社会の一員でありたいです。私もおばのように、一所懸命に仕事をし、多くの人に信頼され、責任感のある人になりたいです。そうして、たくさんの人に囲まれて一生を終えられる人生を送りたい。これが私が考える「生きるということ」です。